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2011年6月6日

「雨ニモマケズ」

イギリス・ロンドンのウェストミンスター寺院で5日、東日本大震災の
追悼式が行われた。
司祭は説教の中で、「仏教では夏の盆に亡くなった人を家で迎えるが
迎える家のない人が大勢います」と被災地の喪失感に触れた。
またイギリス在住の日本人が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読し
宗派を超えて東北の再生を祈った。

中学高校と岩手で育った私には、この宮沢賢治の詩を何度も何度も眼に、
耳にして育った。
当時大阪から転校してきた私には岩手の冬は、とんでもなく衝撃で、つらく
白い雪も綺麗と素直に思えなかった。
早朝、重い雪掻きを皆腰を押えながら無言でする姿。
耳が、ちぎれそうな長い時間、大雪だからしかたないさ~と静かにバスを待つ忍耐。
どうしても靴にしみこむ氷のような水も、表情にださない強さ・・・。

不思議でならなかった。

多感期だった私には、この宮沢賢治の詩が、心重く、土臭く、ひたすら暗いと
嫌悪する時期も正直あった。

必ず春が来ること。それをしっている強さ。
自然の厳しさを乗り越えたときの喜びは口では言い表せないことを、
ようやく理屈でなくわかりはじめた気がした時又その地を離れることになった。

大切なことを人達、岩手の地、言葉でなく教えてくれた・・・。
岩手独特の優しさ、強さは、この詩のようなものが根源に心あるのかもしれない。

今、改めてきき、なんて力づよい、凄い詩なのだと思う。

そして東北の人達、強さを信じ、心おれないように祈ります。

「雨ニモマケズ」

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

by宮沢賢治

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