yogaを始め、続けて。
最近、又改めて今までのこと確認し、またゆっくり必要だった事、手放していけるものをゆっくりとみている。
ヨガをはじめるきっかけは、体を動かす事が好きなシンプルな理由で、体の声を聞かずケガ、故障が多く、ただ柔軟性、緩みが欲しかった。
アーサナで言えば最初は思った以上動ける、出来るの自己評価でどんどんハマったが、出来ないポーズはいつまでも出来ないジレンマ。
単純な想いが練習に繋がったが、時間が経つにつれ体を動かす(アサナ)、呼吸法をするとより、何故自分と繋がってく感覚がうまれるのか≒今まで無視してきたかに気づき・・・喜びでなく沈んだ。
無視してた自分に少し気づいた時、頭と体の答え?がそぐわなかったからだと思う。
今いつも生徒さんに伝えてる、形(ポーズ)を追わないで。
そこに起きる自分をみてください。等 全く理解できてなかった。
原点みたく(今思えばなんの原点だったか・・・)無茶苦茶な自己都合で、仕事場、家庭等周りに迷惑かけながら結果その時、インドに行った。
半年前に決めたものの色々なストレス、迷い。
旅費学費稼ぐ為、ホットヨガの仕事を一日に何本もいれた結果、腰がもう耐えれないと悲鳴をあげ、10分同じ体制で座れなくなった。
フライトの時間も、現地の練習もついてける自信が日に日になくなり、行かなくてすむ理由が増えていく。
こうしたい。
こうなりたい。
あそこに身を置いてみたい。
それが今の現実から遠く感じれば感じるほどそうしなくていい、理由づけはいくらでもできてくる。
しない言いわけができてくる。
そして現状に満足できない大きな贅沢だと。
(今思えばそこに完全な答えなどあるわけでもなく・・・生活すべてがyogaなんてこれっぽっちも気づいていなかった。)
単純シンプルすぎる衝動的といわれても仕方ない。
変な自己満足と遊びではないなど自己弁護。
楽でない、苦をが美徳など薄っぺらい想いあっただろう・・・と誰も言わないのがスゴイ。
行くことが苦なんかでなく、その場にとどまることが苦だったのだから、今思えば逃げだ。
独り身ならまだしも、そうでない中、単独で行き、日本離れ2日目で現地の暑さで貧血おこし、3日目ヨガプラクティスの為、世界から集まった大人数のアシュラムで初日から手続きトラブル。
確認中、滞在少しここで。。。とジャングルの中の小屋に。(何人かいた)
外のトイレらしき場で唯一苦手な蟻、見たことない虫の半端ない大きさに震えたのは今も少しトラウマ。
3日目で又貧血で立てなくなるがポカリスエットをもらったら、みるみるチカチカ星がなくなり、白い世界に色が付いたのが驚いた。(ポカリはスゴイ!)
1週間後シーツのダニかで肌ボロボロになっても顔埋めベットで泣いていたら傾き、壊れクの字のベットに挟まれた。。。(まったくギャグで、隣のフランス人も笑い転げてた・・・)
毎日有難くアシュラムでカレーをいただくが手で食べる習慣が肌弱い私にはあわず、香辛料の強さで右手が腫れあがった。(苦笑)
ホントあなたは何しにきたの。状態で心身ともに柔軟性がないことを痛感。
朝4時起き、みっちり朝から瞑想~20時迄のプラクティス。
消灯確か9時で水シャワー3分は自衛隊さんか?と何事もゆっくりペースの私には貴重な時間だった。(今このペースはまったく身についてない)
久しぶりな休み、近くの池に仲間と泳いで遊んでいたら、インド人に「楽しそうだね。でも小ワニもいるから気をつけろ」と笑いながら言われ、慌てて池の水の飲みながら上がった晩、お腹を壊す。
貴重な今では笑い話になる経験だった。。。
ここでのアシュラムは規則正しいこの場の環境は安全だった。
ポーズ(アーサナ)の形もトラディショナルでしっかり忠実で意図を教わる。あとづけを殆どしないのでシンプルな事に没頭できる。
それをその時は望んだ。
一か月の研修後、センターを出るとインドは今までの私の固定概念をみごとに壊してくれた。(感謝)
時間の概念、まだ消えないカースト制、何もかも平等でない生死。
綺麗な目の子供達の胸詰まる輝き。
大丈夫。
そのうち努力すれば幸せがある。。。とはとても言えない、照りつく地面に小さな娘と横になってハエもはらう元気もない寝転んで起きない母親。
少し油断すれば、すぐに囲まれる子供達をどけなければ歩けなかった全て未熟な自分。
まだまだ私がみたのは一部でしかないだろう。
私は平和な?日本に生まれ育って良かった・・・と思った瞬間、泥にある有り方、許せない無意識にすぐもった優越感がたまらなく苦かった。
yogaはひとつのツールだ。
生活にヨガがある。
何度か行った最後のインドから5年経ち、初めて言葉にできた。
インドという国に特にヨガをされてる方は最近簡単に、気軽に行ける場所なのかもしれない。
あ~たのしかった。
またすぐインドに戻る。
と言われる気持ちもとてもわかる。
合わなければ最初から行かないところかもしれない。
私はその中で、中途半端なんだろう。。。
日本の生活、水も自動販売機もコンビニも、時間通りに来る交通も時間と共に慌ただしくなると感謝の気持ちは薄れる。
そこに馴染むと、溜まる自分の中の泥の重さを感じる。
浄化とかの言葉を簡単に使えない。
方法手段で・・・自分の中のスペース(コップに例えると)かき混ぜシャッフルすると濁りが静かに下に溜まり・・・上のクリアな水を感じる事はとてもしたくなる。
それが私は今、ヨガだったり、旅だったり、人との大切な出会い、人との時間なのかな・・・と書きながら整理しだしている。
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